冨高日向子は東京から毎週500km通いモーグル選手に?家族の献身と上村愛子への憧れが凄い!

ミラノ・コルティナ五輪で4位入賞という素晴らしい成績を残した冨高日向子さん。

そんな冨高日向子さんですが、雪のない東京都町田市から毎週500kmもの距離を通ってモーグル選手になったという驚きのエピソードがあるんです。

とっても気になりますよね?

そこで今回は、

  • 冨高日向子さんは東京から毎週500km通いモーグル選手になったのか
  • 冨高日向子さんの家族の献身
  • 冨高日向子さんの上村愛子さんへの憧れ

について詳しく見ていきましょう。

目次

冨高日向子は東京から毎週500km通いモーグル選手に?

ミラノ五輪で日本女子モーグル界を盛り上げた冨高日向子さん。

そんな冨高日向子さんですが、本当に東京から毎週500kmも通ってモーグル選手になったのでしょうか。

冨高日向子さんは、小学4年生から中学卒業まで、東京都町田市から長野県白馬村まで毎週往復500kmを通ってモーグル選手になりました。

冨高日向子さんは東京都町田市という雪のない地域で育ちました。

スキーを始めたのは3歳の時で、最初はご両親がスキー好きだった影響で家族のレジャーとして楽しんでいたそうです。

しかし小学生になると、冨高日向子さんは「圧雪された平らな斜面はつまらない」と自らコブ斜面に突っ込んでいくような負けず嫌いで活発な少女だったといいます。

本格的に競技を始めた小学4年生からは、毎週金曜日の夜にご両親が運転する車で長野県白馬村へ向かい、日曜の夜に東京へ戻るという生活を継続しました。

片道約4〜5時間、往復500km近い距離を毎週欠かさず通い続けたのです。

メディアでは「両親がいなければ今の私はいない」と感謝を語る場面が印象的でした。

また、冨高日向子さんは多摩大学経営情報学部に在学中、競技と学業を両立してきました。

卒業論文のテーマには「モーグル競技の発展に向けた情報発信に関する一考察」を選び、どうすればマイナー競技の認知度を上げられるかを学問的に研究したそうです。

「モーグルは4年に1度しか注目されないのが寂しい」という思いから、自らSNSでアンケートを実施するなど、競技の普及にも熱心に取り組んでいます。

冨高日向子の家族の献身

日本女子モーグル界のムードメーカーとして活躍する冨高日向子さん。

そんな冨高日向子さんですが、ご家族の献身的なサポートはどのようなものだったのでしょうか。

冨高日向子さんのご家族は、小学4年生から中学卒業まで毎週往復500kmの送迎を続け、ガソリン代や高速代など莫大な費用をかけて娘の夢を支え続けました。

冨高日向子さんのご家族は、ご両親のみが公表されています。

母親は久仁子さんというお名前で、北京五輪出場が決まった際には喜びの声を寄せ、娘の努力を温かく支えてきたと報じられています。

また、冨高日向子さんがスキーを始めたきっかけには、4歳年上のお兄さんの存在がありました。

3歳の時、お兄さんがスキーを始めたのを見て「自分もやりたい」と後に続いたそうです。

小学生の頃は、お兄さんと一緒に滑っていても、綺麗に整備されたコースではなく、わざわざデコボコのコブ斜面を選んで突っ込んでいくような子だったといいます。

ご両親の献身的なサポートは、東京都という雪のない地域で競技を継続する原動力になっていました。

町田市の実家から毎週往復500km、約10時間かけて白馬へ送迎してくれたご両親に対し、冨高日向子さんは「ガソリン代や高速代、どれだけかかったか分からない」と語っています。

「結果で恩返ししたい」とスポーツ紙のインタビューで涙ながらに語る場面もあり、ご家族への深い感謝の気持ちが伝わってきます。

現在の冨高日向子さんの活躍は、こうしたご家族の献身的なサポートがあってこそのものなのです。

冨高日向子の上村愛子への憧れが凄い!

出典:TEAM JAPAN

152cmの小柄な体からダイナミックなエアを繰り出す冨高日向子さん。

そんな冨高日向子さんですが、上村愛子さんへの憧れはどれほど凄いものだったのでしょうか。

冨高日向子さんは小学生の頃、学校のノートや机に「上村愛子」という名前を書いて、その背中を追いかけることを誓っていました。

冨高日向子さんは、日本モーグル界のレジェンド・里谷多英さんや上村愛子さんを尊敬していると報じられています。

特に上村愛子さんへの憧れは強く、週末に通っていた白馬村スキークラブは、上村愛子さんの所属先でもありました。

小学生の頃、冨高日向子さんは学校のノートや机に「上村愛子」という名前を書いて、その背中を追いかけることを誓っていたといいます。

単に技術を真似るだけでなく、上村愛子さんのように「多くの人にモーグルを知ってもらえる存在になりたい」という志を当時から持っていたことが、多くのスポーツ紙で紹介されています。

この純粋な憧れが、冨高日向子さんの競技への情熱を支え続けてきたのです。

また、冨高日向子さんは多摩大学での卒業論文で「モーグルのメディア露出とブランド価値」について研究しました。

「競技結果だけでは人は動かない」「選手の私生活や苦悩というストーリーを見せることが大事」という結論を出し、自身のInstagramなどで積極的にバックステージの発信を続けています。

これは、上村愛子さんのように「モーグルを多くの人に知ってもらいたい」という幼い頃からの夢を、学問的に追求し実践している姿だといえます。

憧れの先輩の背中を追いかけ続けた冨高日向子さんは、今や自身が次世代の憧れの存在になりつつあるのです。

まとめ

冨高日向子さんは、小学4年生から中学卒業まで東京都町田市から長野県白馬村まで毎週往復500kmを通ってモーグル選手になりました。

冨高日向子さんのご家族は、毎週往復500kmの送迎を続け、莫大な費用をかけて娘の夢を献身的に支え続けました。

冨高日向子さんの上村愛子さんへの憧れは、小学生の頃にノートや机に名前を書くほど強く、その背中を追いかけ続けてきました。

これからも冨高日向子さんのご活躍を応援していきましょう。

それではありがとうございました。

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